En hommage à SPI

SPIへのオマージュ

(SPI) NATO Division Commander

映画によくあるシーン: 司令官が地図上の一点を指して「ここに攻撃だ!」と言うと、全軍がいっせいに動いて、敵の脆弱な部分に決定的な打撃を与える。


現実には、分隊でもない限り(それでも数日の準備を要すると思うが)、軍隊を命令一つで動かすことはできない。

映画では、現実のタイムラグが無視されている。命令は指揮系統によって伝達されなければならず、それは一方的な伝言リレーではない。
下位指揮官へのブリーフィング、物資の見積もり、戦場のアセスメントなど、軍隊を動かすには、十分な準備と、作戦の終わりまで見通した計画が必要である。
師団スタッフが最初にすべきことは状況把握であり、それは各連隊に対し、どれだけの弾薬と燃料の備蓄があるかの報告を求めることから始まる(1970年代)。
(そもそも、司令官が自分の発想から部隊を動かすのはありえない事で、普通は、より上位の指令系統から降りてきた大雑把な命令を司令官がスタッフに渡し、その命令をスタッフが部隊で実施可能な具体的計画に書き換え、それを司令官と上位指揮系統が承認することから作戦が始まる。司令官が独創性を発揮できる場面はほとんどない。また、ひとたび作戦が開始されたなら、総司令官といえども、それを簡単に変えることはできない。)

複雑化する近代戦において(情報がインターネットで共有されている今日においても)、師団を臨戦状態で配置するには最低でも数週間、軍団規模では数ヶ月前からの準備が必要であると言われる。

その意味で、アルデンヌの戦いで、パットン将軍が行ったバルジへの東から北への進路転換は、そのスピードの早さから、他の指揮官では成しえない偉業と言える。第三軍は、その作戦がオフィシャルに承認されてから、わずか三日で攻撃を開始した。


ゲーム紹介
通常のウォーゲームの戦闘ユニットは、最初から臨戦状態である。
映画の司令官のように、プレイヤーは指先ひとつで、ユニットを攻撃にも防御にも使うことができる。

しかし「(SPI) NATO Division Commander(以下「NDC」とする)」では、おそらく(まだ対戦していないので)、ユニットを臨戦態勢にするまでの段階に多くの時間を費やさなければならないだろう。そして、それが攻撃のフォーメーションなのか、防御用なのかも事前に計画されている必要がある。

ゲームコンポーネントは、150枚の部隊ユニットと1枚のマップが2組、残りは1,500枚の記録用マーカーである。
この構成からも、NDCがブックキーピングのモンスターゲームであることがわかる。

ゲームでは、師団編成の大隊ユニットが、行軍序列を組んでアウトバーンを一直線に南下するところから始まる。
しかし行軍序列で敵に遭遇することは避けなければならない。

プレイヤーは、敵と戦闘する前に、行軍序列を11種類あるうちのいずれかの戦闘隊形に体勢を変える必要がある。これには最低でも1ターンかかる。

それと同時に、総司令部(DIVMAIN)の戦場での位置も問題となり、戦闘指令所(DIVTAC)、砲撃指令所(DIVARY)、補給指令所(DISCOM)と連隊司令部との距離も考慮せねばならず、さらに、DIVMAINの戦闘支援アセットを戦闘が始まる前に旅団指令部に移送しなければならず、そのアセットの一部を割いて、敵FEBA(主戦闘地域前縁)後方の作戦級情報の収集を行いながら、予定される対砲兵砲爆撃用にもアセットを確保しなければならない。

多忙な師団司令部の任務をリアリスティックにルール化していると思うのだが、いかがだろう?

これらの準備活動を何ターンか行っているうちにユニットは疲労するので(戦闘はまだ始まっていない)、戦闘可能な状態になったら、本来はそのユニットを休息させなければならないのだが、ソビエト軍のドクトリンは、部隊を休息なしで突進させることなのだ。従って、NATO軍も休息をとることが、おそらくできない。

休みなしで稼動させた先鋒部隊は、初回の攻撃で壊滅してしまうかもしれない。そのことも見越して、第二梯団と第三梯団を、それなりの隊形でそれなりの位置に用意しておかなければならないが、刻々と変わる敵の位置や地形に対応しながらできるだろうか?

天候の悪化で戦闘支援値は1/2になり、航空機による偵察は不可能になる。師団司令官は、不測の事態も予測しなければならない。

ルールブックには「プレイヤーは2ターン、3ターン先まで予見する必要がある。実際にユニットを動かすより、プランニングに時間をかけるべきである。」と書かれている。
どんなゲームでも数ターン先まで読むものだが、ここで書かれていることは少し意味が違う。

NDCでは一度何かをはじめたら、途中で方針を変えることは難しいだろう(それをするにはより多くのターン数と疲労値を必要とする。そして、そんなことをしているうちに敵の攻撃を受けるかもしれない。雷装の艦攻を爆装に兵装転換している途中で雷装に戻そうとした南雲艦隊のように)。


ルール解説
読むとすぐにわかることなのだが、ルールの記述は、まるでジム・ダニガン(ゲームザディナー)の御宣託のようである。

「師団司令官の能力は、どのように抽象化すべきですか?」
「部隊の疲労は、何に影響しますか?」
「弾薬の枯渇はどのようにルール化すべきですか?」

20ページのルールブックは、これらの質問に対するダニガンの答えを、忠実な生徒が書き写したような内容である。ルールの記述を上回る量の解説文が、ルールブックをいっそう教科書らしくしている。

それぞれの「御宣託」は、独創的なおかつ論理的で、今日でさえ魅力あると思う。しかし、各ルールを同時に使った場合のバランスが、たぶん悪い。そして、覚えなければならないルールが聖書のように多い。

たとえば、弾薬の供給ルールが細かく規定されているが、シナリオでは、ゲーム終了まであり余るほどの量の弾薬が設定されている。
果たして、複雑な手順のルールを、結果の出ない目的のために毎ターン実行する必要があるだろうか?

それでも、詳細を極めたルール間に矛盾が生じないのは(ミランダの空想科学ルールと異なり)、テストプレイをしいてる証拠だし、ダニガンは普通でない頭脳の持ち主だと思う。


驚くべき「コントローラーゲーム
ルール付属の「コントローラーゲーム」とは、二枚のマップを使ったブラインドゲームで、一方のプレイヤーがゲームマスターを兼ねる(通常はソ連軍)。
驚くべきことに、NDCはそもそもコントローラーゲームとして企画されたもので、対戦ルールは後からの付け足しである。

コントローラーゲームでは、勝ち負けを争うことに意味がない。
ゲームマスターは神で、あらゆることを決定できるので、勝敗は彼の意のままになる。ゲームマスターが米軍を勝たそうと思えば米軍が勝つし、自分が勝ちたいと思えば、ソ連軍を圧勝にできる。

競技性が否定されているので、コントローラーゲームでは、プレイバランスの悪さも、ルールが聖書のような御宣託の集合体であることも、おそらく問題にならない。

コントローラーが教官となって、ルールを手がかりに、リアリスティックと思われる状況を作ってゆく。
米軍プレイヤーにとっても勝敗は問題でないから、ゲームマスターから与えられた情況の中で、どれだけ軍事的に正しい決断ができたかを評価することがコントローラーゲームの目的だろうか?


「KRIEGSSPIEL」との類似性
コントローラーゲームは、勝敗が問題にならないという点で、「KRIEGSSPIEL」に似ているかもしれない。
ゲームというより出版物とでもいうべきNDCは、ルールブックの学術性と精密さという点点で、他に類を見ないウォーゲームである。
そして、コントローラーゲームをきちんと対戦するには、専門家レベルの軍事知識が必要だろう。
防衛大出の人などとも対戦してみたいものです。


フルブラインドゲーム
コントローラーゲームのルールをもとに、ブラインドの対戦ゲームができないか、というのは誰でも考えることなのでしょう。
ネットでは、有志によって作られたNDCのフルブラインドゲーム・ルールが公開されています(英文)。

【写真1】 一家に一冊。戦争の百科事典。

【写真2】 グリッドで区切られたNDCのマップ。それぞれのマスはセクターと呼ばれ、コントローラーゲームではセクターごとに索敵を行い、敵の位置や兵科、部隊識別番号を探知する。