En hommage à SPI

SPIへのオマージュ

S&T#70 The Crusades

二百年続いた十字軍遠征は、歴史上はビザンツ帝国の皇帝がローマ教皇に救援を依頼したことが発端とされる(1095年)。
しかし真の原因は、飢饉と終末思想だと思う。

1096年、ヨーロッパで大飢饉とペストが発生、フランスだけでも10万人が死亡した。貧農は人肉を食べて生き延びたと記録されている。行き場のない貧民を宗教によって組織化したのが隠者ピエールで、彼が率いる民衆十字軍はイスラム軍に容易に撃退された。
それよりましな第一回十字軍も、実際は、4,500名の騎士に35,000名の武器も靴も持たない飢餓民が加わった集まりだった。エルサレムに到達するまでの三年半に飢えと戦闘で1/4まで減り、途上、公然と人肉が調理されたという。

「マアッラ(現在のマアッラト・アンヌマー hex2110)で、我らが同志たちは、大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで、子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった。(アラブ年代記)」

よく、十字軍の宗教的な残虐性が言われる。一方で映画や絵画に出てくるのは甲冑をまとった騎士ばかりだが、実際は貴族や諸侯よりも、暴力と略奪で生計を立てていた無頼の徒の方が多かったのではないか?多くは、字も読めなかったと思う。
もともとヨーロッパで十分な生活ができていれば、報酬ゼロ、行き倒れの可能性が高い遠征には参加しないだろう。

栄養学のない時代、ビタミンC不足から壊血病になる者も多かった。
この時代の中東は気候変動によって35~51度の猛暑が続き、途上多くの者が水不足で倒れた。1187年(第二回十字軍)、ヒッティーンの戦いでサラディンは十字軍を水源から離れた場所におびき寄せ、暑さの中に敵の騎士を置くことで戦術的優位を得た。猛暑は第七回十字軍まで続いた。
冬も夏同様に危険で、降雪と寒さから弱者から先に死に、雨により食料が腐った。水はけの悪い丘陵地帯は洪水を作り、馬や人々、糧食を押し流した。

「S&T#70 The Crusades」でも、ユニットは移動距離に比例して戦力を消耗し、動かなくても1戦力ずつ減る。雨のシーズンでは渡河できない。補給が断たれるとサラセン軍はほとんど動けなくなり(それでも損耗しない = 暑さに強い)、包囲攻撃に負けると、戦闘力はゼロになってしまう(皆殺し)。


第三回十字軍(1189 -1192年)
ゲームでは1191年4月~1192年8月の30ターンを扱う。
エルサレム陥落の報を聞いて編成されたのが第三回十字軍である。ローマ教皇グレゴリウス8世の呼びかけに応えて参加したのは,十字軍の歴史の中で最もきらびやかといわれる人々、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イングランド獅子心王リチャード1世(Richard I Coeur-de-Lion)、フランス王フィリップ2世(Philip Kg France)だったが、フリードリヒ1世は1990年6月にキリキア(Cilicia、トルコ南部)のサレフ川(Saleph hex0803)で溺死したため、ゲーム開始時には、ドイツ騎士のほとんどは帰国している。

リチャードとフィリップは別々の船団で中東に向かう。途上、リチャードはキプロス島に上陸して、勝手に十字軍国家を作っている(勝利ポイントでルール化)。リチャードとフィリップの仲は悪く、1191年7月にリチャードの指揮でアッコン(Acre hex1619)を奪還した後、フィリップは義務を果たしたとして帰国した(これはランダムイベントで表現)。残ったリチャードは、イスラムの英雄サラディン(Saladin)と死闘を繰り広げ、互いに譲らぬ戦いを続けた。

リチャードのとった作戦は、第二回十字軍と同じ轍を踏まない、というもので、輸送船団を伴走させながら地中海沿いを南下した。それに対し、サラディンは偽の奇襲を仕掛け、内陸へおびきよせる作戦をとった(アルスフの戦い hex1522)。

リチャードの十字軍はエルサレムまで20kmの地点に到達したが、最終的にはエルサレム奪還を諦め、キリスト教徒の巡礼をサラディンに認めさせて帰国した。どう考えても十字軍は悪でサラディンが正義だが、誰もそうはイメージしない大戦争