En hommage à SPI

SPIへのオマージュ

S&T#307 シナリオ解説

【34.8 シナリオ "The Rock of Dang Ha (23 April 1972)】
イースター攻勢におけるDang Ha北部の戦い。ベトナム戦争ではじめてAT3 Saggerが使われた戦闘だった。本格的なARVN(南ベトナム軍)とNVA(北ベトナム軍)の機甲戦でもあった。

【シナリオの背景】
1970~71年の間にベトナム戦争で予定されていたアメリカ軍最大の作戦は、地上戦ではなく軍の再編成だった。

当初の計画では、アメリカは300,000名の兵士を再編成するはずだったが、1970年の戦況の結果、予定されていた再編成は雪崩のような撤退に変わった。

1969年の時点でベトナムに駐留していたアメリカ兵は543,000名だった。
その年の終わりまでに60,000名がアメリカに帰還、1970年には148,000名、1971年でさらに177,000名が帰還すると、1972年初頭にベトナムに残ったアメリカ兵の数は158,000名となり、これは1965年以来最低の数字だった。このうち約45%が装甲もしくは航空騎兵隊だったが、これらの部隊も1972年4月30日までに完全撤退する命令が出ていた。

アメリカ軍は1971年11月頃から、1968年のテト攻勢以来の、NVAの大攻勢が来ることを予見していた。その目的はARVNの壊滅とされ、NVAは300両の戦車を三つの連隊に分けていると推測された。

このうち、二個連隊がカンボジアラオスに展開しているとみられ、1972年2月の米陸軍太平洋司令部がまとめた報告書では「地形、補給、連合軍の火力によって、NVAが実行できる装甲部隊を中核とした攻撃は、地域とサイズが限定される。補給基地の建設なしに中隊規模以上の部隊を動かすことはできない。」と書かれている。NVAの装甲車両による攻撃は、過去に三回しか行われていなかった。

アメリカ軍の暫時撤退に伴い、ARVNの機械化と軍事教練、第1軍管区の増強が行われた。1971年7月31日には、M48A3による第20戦車連隊が創設されたが、これはARVN初の戦車部隊だった。

DMZの南側と西側にARVNを配置、Quang Triへの侵入を防ぐと同時に、A Shau valleyとHueの間に歩兵一個師団と騎兵連隊を置いた。A Shau valleyは敵の活発な活動が報告されている地域であり、激しい対空砲火によって偵察もできない地域だった。


イースター攻勢】
1972年4月1日早朝、ロケット砲、迫撃砲、砲兵による激しい砲爆撃の後、DMZからNVAの装甲連隊がQuang Tri目指して南下した。NVAがイースター攻勢に投入した戦車は600両だった。

4月1日午後にはMieu Giang川南岸が激しい攻撃にさらされたが、ARVN第20戦車連隊とARVN海兵隊が防衛線を築いた。

4月23日、Dong Haから数キロ西の地点で、第20戦車連隊第二中隊が、ソビエト製AT3 Saggerの攻撃を受けた。これがベトナム戦争初のワイヤー誘導式対戦車ミサイルの使用だった。

出展; Lt. Gen. Ngo Quang Truong - Defense Technical Information Center