第360回YSGA例会でジョン・ヒルの「(Mayfare) Hue」を対戦しました。
CRTは「(SPI)Battle for Stalingrad」にかなり似ていて、ファイヤーパワー方式なので、防御側の戦力に係わりなく、ユニットがどんどん除去されて行きます。
鈍重な米軍と、どのような地形でも乗り越えて進むことのできるNVAの対決は、「Battle for Stalingrad」のソビエト軍と独軍の戦いを思わせるものでした。
ゲーム初盤は米軍に十分な砲兵がなく、苦戦を強いられますが、史実でも同様で、航空支援と砲撃を前提とする米軍歩兵は、それらが得られない最初の数日で多大の犠牲を出しています。
終盤になると、砲撃と艦砲射撃のセットでNVAの拠点は難なく落ちて行きます。王宮ヘクスでさえ、確率1/2で陥落できるのです。
従って、このゲームでは、NVAが城塞や都市ヘクスに立て篭もるのは得策ではないと思われます。5ターンまでにできるだけポイント差をつけ、残りのターンでもUSMCへの攻撃の手を緩めず、城址内に分散するべきかもしれません。もちろん、そう簡単にはできないのですが。
Mark Bowdenの"Hue 1968"によれば、最初の数日間は、米軍は城址内のどこにNVA/VCがいるかまったく把握できず、前進して敵から発砲されることで、そこにNVAが待ち伏せしていることを知るような状態でした。映画「フルメタルジャケット」でもたったひとりのVCスナイパーが海兵隊分隊を足止めさせていますね。ゲームでははじめから城址内のNVAの配置は一目瞭然なので、米軍intelligenceの混乱は描かれていません。
フエで米軍が苦戦したのは、城塞という地形と天候不順にあったと言われますが、米軍のリーダーシップもお粗末なものだったようです。
NVAをみくびっていた米軍は、本当の大攻勢はケサンで行われるはずと誤判断し、フエへは兵力を逐次投入ていました。米軍はNVAの陽動作戦にはまってしまったわけです。
テト攻勢時にフエ市にいた住民は13万人で、そのうち11万人が住居をなくし、6,000人が死亡したと言われています。それと別に約3,000人の民間人がNVA/VCによって処刑されています。
ユエの25日間におよぶ攻防戦はアメリカのテレビ局によって連日のように放映され、その市街戦の様子は、それまでジョンソン大統領や米軍高官が発表していた「勝利は近い」とは正反対の内容でした。
独第六軍が壊滅したスターリングラードとは異なり、ユエの攻防は軍事力の決戦とはなりませんでしたが、ベトナム戦争支持に対するアメリカ国内世論の分裂がこの年から本格化したとするなら、政治的にはターニングポイントであったと言えます。S&T#126では、ベトナム戦争が低強度紛争のはしりであり、世論を形成し、麻痺させることの重要性を印象づける戦争となった、と書かれています。
今回の対戦では、オプションルールの天候と視界以外はすべてを取り入れ、第12ターン(2月12日)で、NVA:51ポイント、US:72ポイントでゲーム終了となりました。かかった時間は4時間ぐらいです。
史実ではフエ城址からの掃討に2月25日まで米軍はかかっていますから、約半分です。新市街でもNVA/VCは2月3日まで頑強な抵抗を続けていますが、ゲームではそこまでの余力はありません。
攻撃が行われたヘクスには廃墟マーカーを置き、防御側に有利になるようにすれば、もう少しNVAに有利な戦いになるかもしれません。
フエをテーマにしたゲームはS&T#196「Hue and Khe Sanh 1968」やBattle Magazineの「A Week In Hell」がありますね。